母親が教えてくれたこの世で 1番大切なこと。

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昨日コーヒー哲学で母親と話していました。

小3の頃から約9年間、いくつかの塾に通い続けさせてくれた母親に「大学行ってほしい?」と尋ねました。

愚問だと思っていました。

これまで僕に投資してきた教育費は計り知れません。

それにも関わらず母親は「別に行きたくないんやったらお金掛かるし行かんで欲しい。」と答えました。

母親がそう言うとは思ってませんでした。

受けた投資金からして、母親は僕に対して学歴をちょっとは求めてると思い込んでいたのです。

僕はその返しを聞いて「よし今すぐ高校辞めたろ!」と思いました。

今の僕にはしたいことが無数にあり、その計画を埋めてゆく第一歩をすぐにでも踏み出したかったからです。

それに加え、今ある教育システムに強い不満を抱いていた僕は喜んでそれを母親に望みました。(高校に行かない理由に関してはこちら→https://whatithink.hatenadiary.com/entry/2019/10/25/184346 )

しかしそのことを告げられた母親は僕に実の父親の話をしました(僕たちは今母子家庭です)。

僕のその時の思想は丸々父親と同じだったらしいです。

なんでも1人で突き進んでやってのける力があると信じている、幸福な人生を送れば良い、冒険的であってこそ人生、といった考え方が本当に同じだったらしいです。

父親はかつて母親と結婚した後、様々なことに手を出したそうです。

しかし最終的には自己破産をする他ない状態に陥り、母親はそれを見て僕を連れて逃げ出したらしいです。

なるほどと思いました。

続けてそれらの経験から感じている母親の考え方を教えてもらいました。

僕には深く刺さります。

『自分1人だけじゃない』『自分の行動の影響を受ける人が必ずいる』『みんながハッピーでないといけない』と。

その考えに納得した僕は色々思考した末、学んだことを次のように結論付けました。

満足のゆく1日を送り続けるためには、短期的にも中長期的にも「人の期待に応え続ける」ことが大切。

人の期待に応えたいという気持ちは人間が本能的に備えている気持ちです。

特にロジックは無いですがこれだと思いました。

1つの理念に囚われている訳ではありません。

論理的に思考を構成したほうが良い場合もあるし、無心で何かをし続けることが大事な場合もあるし、感情に愚直に従うことが求められる場合もあるし、無慈悲な行動をすべき場合もあります。

ただ、人の期待に応えるというのは生きる上での"基本理念"になっても良いのかなと思います。

これがみんながハッピーになるために自分ができることだと思います。