承認欲求を満たすためのブログを書いてきて思ったこと。
本質的じゃない。一々ウザい。もう辞める。
内容を伝えたいのか自分を凄く見せたいのか、目的をハッキリさせてないからこういう1番キモい書き方になる。
もう誰にとっても損でしかない。それは言いすぎた。
お笑い芸人になりたい。
ここ2ヶ月間程、あることをずっと考えていました。それは「どんなYouTubeチャンネルを作るか」です。
ずっとお金を自力で稼ぎたくてプログラミングを4ヶ月間続けたものの、いざそれでお金を稼げるようになった時のことを考え、心を鬼にしてそれを最初の本業とするのを中止しました。そしてこれまで予想してきた各職種が自分の人生と相まって引き起こすメリット・デメリットを考慮した末、数少ない自分の情報の中ではYouTuberが自分の幸福論に沿った最有力候補になりました。
しかしいざ「よし、YouTube始めよ!!」と思い立ってもなかなか実行に移せないものです。何故かと言うとYouTuberというのは動画内のコンテンツを提供するものだから。喩(たと)えると何を作るかを決めてないのに「よし、店やるか!」と言っているのと同じだからです。アクションを起こせるわけないですね。例えばこの段階から「駅から徒歩1分、注文から提供まで2分の、アレルギー物質に考慮した格安特大ハンバーガーを売りにした店」という具体度まで落とし込むには、まず目的が不可欠です。何事も目的という抽象から手段という具体という流れは変わりません。(余談 : 目的(目標)に良い悪いはありません。目的の抽象度を上げ続けると「自分は何故生きるのか」という問題にぶつかり、そもそもそこから派生したであろう小目標に是非は無いからです。したいと思ったことを追いかける他ないのです。)
それではまず目標、つまり現段階での僕の理想仕事像を整理してみます。
①自分の裁量権を最大化したい(自分以外の人間がいないと仕事が進まない構造では自由度の縮小に繋がるため)。
②月の最低利益30万円(今の自分が幸福を最大化する為に必要なお金)
③知人に限らず日々新たな人の幸福度UPに貢献し、そのフィードバックを得る。
④知名度を培うことで事業展開によるリスク分散ができる。
それぞれをYouTubeというジャンル内で具体化していきましょう。
①企画、撮影、編集を1人でやる。
②広告収入に頼らず案件を積極的に受けられる状態を作ったり、他にもAmazonアソシエイト等を使って収益源を増やす。その前にチャンネルを伸ばす笑。
③お笑い芸人になる。
④企画内容のみでなく演者(自分)にもファンをつけることで著書やnote、その他有形商品を売ったり英会話教室や喫茶店などの事業を始めれる状態にする。ここはなんとでもなりそうですし今発案しても仕方ないので飛ばします。
お笑い芸人になる、は?って感じだと思います。説明します。
はじめは哲学的なチャンネルにしようと思っていました。自分の幸福論を語っていくような感じです。でもシンプルにネタが尽きるし、考えられるコンテンツとYouTubeのアルゴリズムがマッチしないので多くの人に届きづらいだろうと思ったんです。だから幸福度をあげれるような考え方を伝えるのではなく、もうシンプルに笑いで幸せをダイレクトに届けたいと素直に思いました。自分の幸福論は人気が出た時サブちゃんかなんかで見たい人が見れるようにしたいと思います。
僕は特別話が面白い人間ではないけど、バカなので未だに「俺は何にでもなれる」と信じてやみません。だから僕はいっぱい学んでお笑い芸人になります。芸人ってほんとに凄い人達なんだなって思います。だってどんな悲しい時だってバラエティ見てたら笑っちゃいますもん。ただ、僕はテレビに出たいというわけではありません。あくまで場所はYouTubeです。テレビに出るからお笑い芸人なのではなくて、おもしろけりゃそれでいいんです。というかそんな肩書はそもそも要らなくて、「面白い人」でいいと思います。それで③を達成できるようになれれば嬉しさはそれ以上無いです。
今日も読んでいただきありがとうございました。
そろそろ死生観でも。
今までの僕には迷いが多すぎたなと感じ、こないだ自分の死生観を考えることにしました。
未来に向かって生きているというこの状況を自分なりに解釈することによって、自分の人生の軸を定めようという試みです。
以前の記事で「この世界」が何なのか自分なりに答えを出しましたが、今回はもっと主観的に「その世界にいる自分」は何なのかの答えを出してみました。
ではまず、この訳が分からない状況を解釈するために投げかけることのできる疑問は次の二つです。
- 「何のために」生きているのか
- 「何が原因で」生きているのか
いつ、どこで、なにを生きているのかというのに対する僕の考えははすべてさっきの記事に書いてあります。
二つ目の”原因”ですが、これは分からないし解決が次につながる問題ではないと判断しました。
なぜかと言うと僕とあなたが生きている理由は両親が産んだからであって、その両親もその両親が、と繰り返すと「動植物はどうして遺伝子をコピーしたがるのか」という問題に収束するからです。
これは僕の死生観には全く影響がないと思いました。
それでは一つ目の「何のために」生きているのかですね。
あなたは何を目的に生きていますか?
目的について考えるときに注意してほしいのが、「”行動”の目的と”存在”の目的は種類が異なるということ」です。
具体的に言うと、結果を求めて起こすのが行動なのに対して、認識によって目的を与えられるのが存在です。
飯を買うためにスーパーへ行ったりと前者については直感的に理解できます。
後者の例は ”交差した二本の刃物” ですね。
これをあなたは ”はさみ” と呼びます。
でもそのはさみを私たち人間が使わなくなってしまってはそれに意味(価値)はありません。
つまりは人間がものを切るためにそれを作り利用しているからはさみとして認識されているのであって、そこら辺のネズミにとっては単なるかたいものでしかないのです。
はさみが存在している目的は製作者である人間によって与えられているという考えです。
ここまでで二種類の目的について分かったと思います。
僕たち人間というのは行動ではなく存在でしかないので、どういった認識をされているのかと考えていきます。
はい、ここで皆さん感じたと思いますが、あなたがどう捉えられているかは問題にすることはできません。
なぜかというとはさみがネズミと人間によって認識のされ方が違うように、一人の人間もそれぞれの人間、神、未確認生物...によって捉え方が違うからです(神以降の存在については興味ないです)。
そもそも認識される側に立つことが間違えているのです。
ということでこの二つの疑問は主観での決定的な解釈はできないなと思いました。
もうこれ以上僕たちの存在に疑問を投げかけるのはやめです。
さっきから何回も紹介している記事にも書きましたが、僕たちの脳が考えることはすべてこのゲームのメカニズムによるものであり、
人間って一体全体何なんだろうという疑問が生まれるのも必然と解釈します。
結論
考えるべきものはもうない。自由に生きよう。
この記事を読んでくれた人にはわかってもらえると思いますが(何度もすいません)、
せっかく願望を持って生まれたのだからそれを実現するのが楽しけりゃそうしたらいいってことですね。
今回自分が立派な死生観をすでに持っていたということに書きながら気付けました。
高校の倫理の先生に会いたすぎる。
読んでくれてありがとうございます!
希望に満ちた仲間達へ伝えたいこと。
どうも、入学手続きを郵送し忘れて大変なことになったADHDです。
まず僕がこの記事を書こうと思った理由を書かせてください。
僕は前期試験が終わったその日からプログラミングに本格的に取り組んできました。PCに触れなかったのは計画していた日、一日だけです。
そして自分の市場価値を高めようと日々努力していたところ、新学期・新生活を迎える仲間達にも、時間を浪費せず自己研鑽に努める機会を見逃して欲しくないと心の底から思いました。
たった1人でも気持ちを動かしてくれる人がいることを願って続きを書かせていただきます。
成長するために知っておくべきこと。
- 挑戦する勇気を持て。
まず、僕らはなんでもできる。というと普通に嘘になりますが、なんでもできるようにはなります。当たり前ですよね未来のことなんて誰も否定できません。
そこであなたには出来る限りのことに挑戦して欲しいんです。僕は19になるまでの1年の間に月100万円稼ぐことに挑戦しています。バカにされたって良いんです。むしろバカにされて下さい。
何故なら「出来るわけねぇだろwww」と言われるものに挑戦してこそ価値があるからです。何が成功するかは分かりません。全部失敗するかもしれない。でも、種を必死に撒き続けることが大事なんです。失敗すればいいじゃないですか。失敗は上手くいかなかった一例に過ぎない。自己分析にもなるし明らかに成功に近づいています。段々次の挑戦が怖く無くなっていき、挑戦するのが当たり前になってきます。
1番みっともねえなと僕が思うのはその種を撒き続ける者を傍観して、更には評価まで下しちゃってる奴らです。なんら生産的な活動では無いし、希望を持つ者の足を引っ張り、結果そいつも含め全員の未来を暗くする方向に導くだけです。
ただ、そういうやつが居てくれるからこそ挑戦には価値があります。バカにされればスタートを切れた証拠であり、自分の足を引っ張る奴らが出てこればそれは自分が成長している証です。
挑戦したって死にゃしません。体がボッロボロになって精神がえぐられるような事は幾度となくあるでしょう。上等じゃないですか。常にハードモード選択していきましょうよ。自分で認められる程頑張った暁にはその過去が自分の今後成長する勇気に繋がります。
ただ傍観し何も行動を起こしてないやつには僕はなりたくありません。
これは価値観であってあまり人に押し付けるものではないと分かっていますが、人情じゃないですかね?
挑戦は案外簡単なものです。僕はもう何一つ抵抗ないです。たまに恥ずかしいなと思うこともありますが、僕が恥ずかしいと感じる=みんな出来ない=その行動には価値がある ので「っしゃ上等。」と思って実行するようにしています。
問題は挑戦出来るかどうかではありません。それはあまりにも初歩的なステップに過ぎないのです。
本当に難しいのは継続すること。
継続の仕方は人それぞれだと思いますが、とにかく継続するのはまじでむずいですよね。体感では、挑戦出来る人が10%、継続できる人はその内の1%。1000人に1人くらいなんじゃないかなって思ってます。因みに僕にとっての継続は約1年間です。僕も1年以上継続出来たことは高校で2年間くらい毎日勉強したことくらいです。
なので僕は今も筋トレとプログラミングの継続に挑戦しています。
そして周りの雰囲気もかなーり重要だと考えてます。自分の友人、家族はどうですか?みんな成長する意欲がありますかね?大抵の人にとっては恐らくそういうギラギラした人は数人しか周りにいないでしょう。しかしそれではいけません。自分が変わるには周りも変わらなければいけない。継続したり挑戦し続けるには周りのサポートも必要でしょう。その為にまずはあなたが一瞬だけ変わって下さい。そして周囲に呼びかけて下さい。「お前も変わろうぜ!一発やってやろうぜ!」って。
変な風に思われるでしょう。だけどそれはあなたが今まで不変であった故に、いざ変わった時に違和感が生まれただけに過ぎないのです。
僕も色んな人に、自分と一緒に成長して欲しくて声をかけてきたつもりです。もちろん冷たい返答を食らうこともあります。自分が成長しているんだとポジティブに受け入れましょう。しかし、本気で熱を持って語りかければ割とみんなちゃんと聞いてくれます。この間も一緒にプログラミングを始めてくれる友達や筋トレをしてくれる友達を作ることができました。気味悪がられることはあっても、そうなる勇気を持って下さい。
2.孤独になる勇気を持て。
ここまでの話を読んでくれた人はこう感じませんでしたか?
「ずっと友達だった人の前で急に変わるのはどこか恥ずかしいし、その友達も失いたくない。」
そりゃそうです。強く共感します。みんな分かってるんですんよね、変わりたいけど変われないって。
ここで僕が提案したいのが、コミュニティをいくつも作ることです。
思い返してみてください。特定の人達とばっかり話してませんか?幼馴染、同じクラスの子、中学の友人etc...。
その依存状態で変化するのはなかなか大変なことでしょう。
依存先をいくつも持っていればまじで自由に暮らせると思います。これはみんな想像できるんじゃないかなと思います。新生活を迎えるとなれば素晴らしい好機です。大学へ行くならサークルは勿論、他学部、他大学にもコミュニティを作ることは可能でしょう。
このコミュニティをいくつも作るというステップを踏めば次の真の目的に近づけると僕は思っています。
そう、孤独になることです。
「はい無理ー」「なんだよ○ね」と思わずに是非話を聞いてください。
依存先が分散した状態になれば、何事も自分次第という感覚が掴めてくると思います。執着する対象が無くなればそうなるのも必然です。しかし誤解して欲しくないのが、全然辛くないよということなんです。
先ほども書いた通り、コミュニティをたくさん持てば自由度が爆上がりします。だから孤独になるのはその延長線上のことであって、拘束されない、つまり変化しやすい状況を作り出すためなのです。
この段階に入る時に誰しもが気付くことがあります。成長している人同士の関係は希薄なものだということです。でも当たり前なんですよね。常に変化している人と人がずっと同じ価値観でやってける訳ないし、そういう人は孤独慣れしていて人間関係に執着がない。自分の活動にフォーカス出来ている人には自然と価値観の似た人が寄ってくるので執着する必要も生まれないんですよね。
あと、孤独になることには他に変えられない最大のメリットがあります。それは、
頭めっちゃ良くなる。
です。
人と群れている間はなかなか自分の思考に凝ることができません。思考というのは立派な労働で、バイトやただの勉強なんかよりよっぽど生産性のある行動です。
新年度を迎えるまであなたには1人になれる時間はたっぷりありますよね。二日間だけでいいので家に引きこもって携帯を触らない生活をしてみて下さい。それだけで自分の脳が本当にスッキリすることに驚くと思います。
これを実行してくれる人だけでも多分0人か1人でしょうが、僕がやって本当に頭良くなったなと思ったことを紹介します。これが習慣化出来るなら携帯でもなんなりと使って下さい。
めっちゃくちゃ考え事する。
これだけです。
具体的には、なんでもいいのでテーマを決めてそれについて自分の意見を論拠に基づいて決定する、ということです。
例えば自分の性格がどう形成されているかについて考えるとしましょう。
まず性格とは何かを定義する必要がありますね。そしてそのあと性格に影響を及ぼすものとは一体何なのか、過去なのか、遺伝なのか、そもそも性格すら存在しないのか、という風に場合に応じて論拠を立てていきます。そこで性格は過去の経験によって作られるのだ!と決めたらば、自分の過去について振り返り今の自分に繋がるか検証してみる。
こんな風に割と無限に考えれます。もしテーマが本当に何にも思いつかないのなら、どうしてこんなに思いつかないのだろうかと考えます。
ただこれめちゃめちゃ楽しくて本当止まんないんですけど、始めるのが面倒くさすぎる問題があるので実行できる人は本当少ないでしょうね。
これが出来ればあらゆる事象について自分の意見を持つことができます。すると誰かと話している時、以前考えたことのある事について話すと「こいつそのロジックを今思い付いたの??」って頭良く思われます。実際そうですが。そして本質、つまりはセンターピンを考え抜く訓練になり、的を得た発言にも期待できるようになります。
ちょっと脱線した気がしますが、伝えたかったことなので書かせてもらいました。それでは復習します。
成長するために知っておきたいこと。
1.挑戦する勇気を持て。
一瞬の勇気とハードモード選択。バカにされたら成功です。そして、とことんバットを振り続けましょう。
2.孤独になる勇気を持て。
孤独にはマイナスイメージがあると思いますが、真逆です。真の自由と強さを手に入れることができます。人に依存しない自分の人生を生きていきましょう。
俺たちなら変われる!!!!!
世界の正体を解明した弊害。
僕は昨日この世界が何なのか分かりました。
この記事を理解してもらうには僕がどうこの世界を理解したかを知ってもらわないといけないので、こちらの記事を先にお読みください。
https://whatithink.hatenadiary.com/entry/2020/02/08/154857
ということで、この世界も僕たちも全て情報なわけです。
薄々気付いてはいたんですけど、そうなると僕らの記憶も単なる情報なのです。
「空間が実在する」といういうのもただの情報。本当はないかも。
問題なのは、
「時間ほんとにあるんか?」ということです。空間が実在しないことは全く問題にはなりません。僕もその中に一応存在できてるんで。
あなたは今朝何を食べたかとか5秒前まで何をしていたか何を考えていたかということが分かるでしょう。
でもそれって本当に時間を認知できてるって言えますか?
もしタイムマシンで一度未来に行きそこから帰ってこれたとすると、その未来で体験した記憶を過去のものと誤解する可能性が少しでもある時点で「過去」というものに対する信頼度はかなり低いです。
時間の感覚というのは完全に記憶に依存しています。
時間というのは人間が作り出した幻想じゃないですかね?
時間があることを証明できる人いたら教えて下さい。コメントできると思うんで。救世主です。
なぜ救世主かと言うと、時間の実在を心底信じなくなった僕は本当に何を考えたらいいかすら分からなくなったからです。
思考停止(妥協)して時間があると信じ込むことは多分出来るんですけど、嫌なんですよね。ノーロジックのこと程嫌いなものはないです。
時間が無いってなると未来に向かって何かするってのがまぁ無理なんですよね。
今Life Shiftっていう超有名な本読んでるんですけど、冒頭から時間がある前提で話されてなんだよってなっちゃいました。当然ですけどね。
でもこれが当然じゃダメだと思うんですよねぇ。
みんな全ての事象に疑問を投げかけそれを改善していく気持ちがないと、、、
って今思ったけどそれって求めるものは主観に依存してますよね。
ここで「わかんなーーい!」って今日は言っておくことにします。
僕は無数の情報の中の1つまたは複数であり、自分がすべきことなどありません。
よって時間や空間、その他無数の情報はテレビゲームの設定と同等だということを信じ込むために瞑想しながら氷点下の道を歩いて帰ることにします。
それでは、また。
この世界が何なのか解明しました。
これを解明するに至るまで大体10時間くらいでしたね。
まず、あなたは目の前にある「モノ」が「モノ」だと思いますか?それとも「意識の投影」だと思いますか?例えばあなたの履いているその靴下は実際には存在せず、ただ腰から生えている足の先端を覆う"靴下"という名前のものとして認識しているだけに過ぎないのではないでしょうか?
僕はこの世界が完全に夢の様なものだと思っているので後者ですね。
だって夢見てる時って、偶に現実世界の聴覚とか触覚とかが夢の中に反映されますけど、それがそうであるなんて夢の中で絶対気付けなくないですか?しかも「あ!これ夢だ!」って気付いても「そろそろ起きるかぁ」って起きること無いですよね。
だからまぁ夢であることを否定するのは難しめだなーと思います。
という訳で第一のフェーズが1番ロジカルでないんですが、まずは仮定です。
だから僕は空間・時空・歴史なんかも全く信じてないです(余談)。
じゃあです。この世界が意識の投影ならば、明晰夢(めいせきむ)(夢の中で夢であることに気付いていながら見る夢)のようにこの世界を操れるはずですよね(ちなみにこの"夢"というのは普通の夢と同じように主人公はあなたです)。
でもこの世界には物理法則や心理法則などの法則に溢れており、とてもあなたの意思でこの世界を操作できるとは思えません。
ここがミソです。
なぜ法則があるのか。
僕はこう考えます。可能性としては有り得る話なので笑わないで下さいよ!笑
もしこの世界がコンピュータによって形成されているものだとしたらですよ、コンピュータは情報処理の負担を減らしたいはずです。そこで1つ法則をコンピュータに組み込んでしまえば、複数の事象についてひとつひとつコンピュータが覚える必要はありませんね。計算するだけなので。
つまりはこの世界で起こる全ての出来事は何らかの法則、言い換えればマニュアル(情報)に基づいているかもしれないわけです。
ちゃぶ台を父ちゃんがひっくり返しました。父ちゃんの腕の中にある筋肉は脳からの指令により収縮し、指から力を受けたちゃぶ台はその一本の足と畳の接地面積を支点に円運動を開始し、その上に乗っていた味噌汁はちゃぶ台から受ける力やその間に働く静止・動摩擦力、さらには遠心力を受けた末宙に舞い、茶碗から飛び出した中身は畳に乗っかった瞬間に畳の繊維との結合を始め、色素沈着という形で何年もそこに居続ける。
これだけではありません。
それを見た母ちゃんはその場を片付けて清潔にし、細菌などから家族の生命を守る必要性を感じる。ただし社会的動物である母ちゃんは"責任"を父ちゃんに帰着させ、習得した言語というツールを用いて怒りの感情と共にその意見を父ちゃんに伝える。その結果家族形態を維持する必要性を見出せなかった父ちゃんは次の棲家で生命を維持する為の道具(家具など)を布に収め、玄関と認識する穴からその場を離れる。
要はですね、あなた達の周りで起きることも、あなたが"意識"と認識していることも、全ては何かに定められた情報に基づいて論理的に実行されている可能性がある、ということです。さっきの例で言えば、母ちゃんが怒ったのは「生きる」という前提があっての「清潔感」の必要性、さらには物理的な現象のみならず「人間特有の心理現象」に基づいた行動をした結果父ちゃんという別の個体との決別を導いてしまいましたよね。
実際はこんな大雑把なものでなく、無限に要因を見出せるロジックだと思いますが。
ここである有名な面白い思考実験を紹介します。
- 1.中国語を理解出来ないアメリカ人を部屋に閉じ込める。
- 2.中国語を理解出来る中国人がそのドアの隙間から「中国語でやり取りすることはできますか?」と中国語で書いた手紙を部屋の中に入れる。
- 3.それを受け取ったアメリカ人はその意味を全く理解することはできないが、その部屋にはマニュアルブックが置いてあるので、それに従って返信の手紙を送り出す。
- 4.「ええ、流暢に!」と中国語で書かれた手紙を受け取った中国人は、部屋の中には中国語を理解出来る人が入っていると思い込む。
この思考実験では、「相手が理解しているように思えてもそれは情報に基づいた反応に過ぎず、本当に理解しているかどうかは判断できない。」ということを示しています。
ここからは僕の推測ですが、その部屋にいるアメリカ人は意識を持っている可能性がありますよね。にも関わらず何らかの強制力によってマニュアルブックに基づいた判断と行動を強いられています。
ここで、ロジックというのはある意味強制力とも言えますよね。例えば本当は1+1=4かもしれないのに、論理的には必ず1+1=2です。
つまりさっきの部屋にいるアメリカ人もロジックという強制力を受けている可能性があり、そうなればその部屋自体、何らかの情報に基づいた現象かもしれません。
そうなってしまえばアメリカ人の意識なんてないも同然です。わかりますかね?
部屋を脳みそに置き換えてみて下さい。
友達に1つ質問をした時、その人は普通に返事をしたように見えました。理解してないかもしれないですよね?そいつらの脳はただのマニュアルブックを有した何かでしかないのです。
ここで言えることは、
この世界には意識など決して存在せず、あなたや僕がそう認識している"意識"は単なる部屋の中でしかないかもしれないということです。
繰り返しますが、意識が論理そのものである可能性は否定できず、強制力に対抗出来ない意識などもはや意識ではないということになります。
少年革命家が「学校のみんながロボットに見えたんです。」みたいなことを言っていたらしいですが、それはそれで僕は正しいと思います。しかしここで付け足さないといけないのが、自分もロボットだよーってことです。あなたがみんなをロボットに見なしてしまったのもなんらかのロジックの結果であり、ロジックの工程です。
ここで、気になっているかも知れないんですが、「じゃあ誰がその法則とかを作ったの?」つまり「コンピュータを作ったのは誰なの?」という疑問が当然生まれます。
勘がいい人は分かると思うのですが、そうです。「そのコンピュータも1つのコンピュータが作った世界の情報の1つ」かもしれないのです。
となれば無限ループです。どれが本当の現実かなんて分からないし、ましてや今あなたがいるその世界が現実である可能性はかなり低いです。
てかなんでそんなコンピュータ作る必要があんの?って思いますがそれは分かりません。それを作り出したのはかなり高度な文明であると思われるので、僕たちが思い付く「シミュレーション」だとか「ゲーム」だとかである可能性はまぁ低いでしょう。
以下が僕の導き出した結論です。
この世界は情報の集合体でそれを運営するコンピュータの属する情報とその発生元が不明なので目的は分からない。
ちなみに意識なんてねえ。
そして最後に僕が1番伝えたいことを伝えさせてください。
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ありがとうございました。
最善の人生を送る方法。
この記事はゆっくり読まれることをおすすめさせていただきます。
では参ります。
①金を稼ぎまくること
②悩まないこと
③幸せになること
この3つが軸になります。
まず、「最善の人生」を定義しましょう。
「最善の人生」
-
死ぬ時に後悔しない
- 瞬間的な欲求も満たす
としましょう(2:長期的な目標達成のみでなく目の前の欲求を満たせてこそ最善ですよね)。
①金を稼ぎまくること
資本主義社会とテクノロジーが発達した現在では、金さえあれば選択肢を制限されることは ほぼほぼ ありません(天皇になるとか)。
「フェラーリに乗りたいなぁ〜」なんて思いますが、金があれば一瞬で実現できます。
「あの人を落したい♡」なんて時も、したい努力は全てすることができます。
・オシャレをする
・高級店へ連れて行く
・整形をする
・デートの仕方をプロに聞く(最近こういったビジネスが始まっています。)
etc.
機会の損失を防ぐことができるので、すべき事はチャレンジのみです。機会が訪れたその瞬間に勇気を出すことさえできれば、「しなかった後悔」は100%しないことになります。しかしこれは意識すれば案外すぐ慣れます。
そして、金に対する考えとして1番大事なことはこれです。
金は時間を買うことが出来ます。
有効需要(金銭を伴う欲求)を満たす取引において重視されるのは「金」と知的財産や労働力などの「商品」ですが、それらには消費された「時間」が次元を越えて含まれています。
ユニクロがそこにあります。そこで売っている洋服は大量の低賃金労働者から「金」を媒体にして吸い取った「労働力」から生まれたものです。でもその洋服って社長1人が一生掛ければもしかしたら作り切れるかもしれませんよね。
これが金で時間を買うということなのです。
この時点で貧乏人と金持ちの人生経験の量の違いは明白でしょう。
②悩まないこと
脳内ハッピーセットのバカって幸せそうでいいですよね。
僕たちもそうなるべきです。「悩む」だけ時間の無駄です。
悩みを確実に解消する方法
頭の中で問題に対する自分の考えをガチガチのロジックを基に形成して下さい。バッドに入っちゃっても良いです。
一度理論として完成した考えはなかなか崩れません。ここで出来上がった考えは理論でありもはや悩みではありません。
これをせずに悩みを解消したつもりになる(感情で解決する)と、時間が経過した時に再び別の角度からその問題が浮上してくる可能性があります。
ⅰ)悩む必要が無くなった。
→解決しましたね。
ⅱ)失敗だと分かった。
→それは知識・経験であり、成長に繋がりました。失敗には完全なるプラスイメージを持ちましょう。「失敗」=「成功しないパターンの1つ」であり、間違いなく成功までの道のりを絞り込めています。
ⅲ)人間関係
これに関しても必ず客観的に分析する気持ちで思考して下さい。そして人間関係における問題は、悪いのが自分であろうと相手であろうと、騙されたと思って何かしらの「感謝」を伝えてみて下さい。自分の中だけで心底感謝するのはその状況だと難しいでしょう。面と向かって伝達するというのが大事です。なぜかまじでどうでもよくなります。
③幸せになること
ここが僕の、この記事で1番伝えたかったことです。
幸せになること、とありますが、幸せが何かをきちんと理解しないとこの議論は何の意味も持たないことは自明でしょう。
それではまず、その「幸せ」と呼ばれるものの正体を暴いていきましょう。
そもそも、言葉というのは人間が他の個体と情報を伝達し合い、協力による社会生活を営む為に必須のモノとして誕生しました。要はコミュニケーションの媒体ですね。
これが意味するのは、伝えたい情報が存在するからこそ、それによって言葉が誕生するという因果関係です。
では「幸せ」はどういった心情を伝達する為に作られたのでしょうか。
自分なりの幸せを感じるシーン、「幸せ〜」と言ってしまうシーンを1つ思い浮かべて下さい。
それは
何かしらの欲求が満たされた瞬間・状態ではないでしょうか。
僕には反例が思い浮かばなかったのでこれを「幸せ」の定義としました。
それでは「幸せ(=何かしらの欲求が満たされた瞬間・状態)」になるためにはどうしたらいいか。
それはそのまま、
「自分のしたいことをする。」ですよね。
勘の良い人は気付くと思いますが、その時に必要となってくるものがあります。
①金を稼ぎまくること
ですよね。これが僕の金に主眼を置く理由です。
③幸せになること
を達成して初めて↓
「最善の人生」
- 死ぬ時に後悔しない
- 瞬間的な欲求も満たす
が実現することになりました。
以上が僕の導き出した「最善の人生を送る方法」です。
しかしこれは主観によって定義された「最善の人生」なので、時間の経過に伴い変遷するはずです。
したがってこのロジックは地盤が揺らぎやすいものなので明日崩壊してもおかしくないロジックです。
この様に日々思いついたことを綴っていこうと思いますので今後とも宜しくお願いします😚
今回もお読みいただきありがとうございました。