文系としてどう生きていくか。

f:id:whatithink:20190726025942j:image現在僕は高校3年生だが、僕は高1の文理選択で実に悩みに悩んだ末、文系を選択した。

 

理由は高校で英語を教えたかったから。今日の日本には思考停止した価値のない教員が溢れていることを実感し、彼らに代わって僕が己の良心に従い教育の現場に立ちたかったのだ。

 

だが、高2の3学期にはその夢は失われていた。

 

公務員として働くことは僕自身にとって地獄であることを知ったのだ。

 

年功序列制のもとでの労働収入の獲得は、あまりにも自分の成長に繋がる部分が少なく、思考停止で、未来を思い描くにはその環境が暗すぎる。

 

これに気付いた僕は文系を選んでしまった自分自身を激しく悔やみ、深く反省した。

 

何故理系でないといけなかったのか。

それは僕の好みの問題で、文系科目より理系科目の方が好きだったし、進学後は実験や好きな学習に生まれる生活をしてみたかった。理系大学生に憧れを抱いていたのだ。

 

そう、これでは思考停止だ。現実性・想像力が欠如し、冷静な自己分析が完了していなかったために、選択肢を増やせなかった。

 

しかしここ最近文系学生としての夢ができた。

それについてはこちらを見て頂きたい。https://whatithink.hatenadiary.com/entry/MyDream

 

 

大学を卒業してからは、今のところ、営業職に就くつもりだ。主な理由は成果主義社会で働きたいから。何か業務に携わって競争するとなれば、業績でトップを争える自信はある。営業職以外の実力を問われるベターな世界が新たに見つかれば、また計画は変更されるだろう。もちろん大学生活中のアルバイトもその方針でいくつもりだ。

 

企業かどこかに就職し労働収入を得ている間、大学で学んだ経営学を学び直し、資金が揃えばなるべく早く起業する予定だ。

 

大学での四年間は人生の一部としてはちっぽけなものだが、理系が専門知識を身につけている間に文系は総合的な力を身につけて行くことにより、少なくとも自分の可能性を拡大することができるはずだ。

もちろん理系にもそれは可能だが、あまりに知識が専門的で教養としては役立たないのではないかというイメージがある。理系科目は人の感情が介入し得ない領域だからだ。

 

 

以上が、文系を選択した僕の人生の半分くらいまでの計画だ。構成の崩れた文章で申し訳ない。